祭りに参加することで、子どもたちの「島を想う心」が強くなる。

竹富島にはたくさんの祭事行事がありまして、いちばん大きい「種取祭(たなどぅい)」や「豊年祭」や「結願祭」など、年間20以上の行事があります。島の人たちはそうした祭りの場で子どもから大人まで奉納芸能に参加するんですけれど、これがとても大切なんです。子どもたちの心が育まれるといいますか、島を想う気持ちがとても強くなるんです。その子が大きくなって島を離れることがあっても、祭りの季節になると、「どうなっているかなぁ。帰りたいなぁ」と、自然と島を思い出すそうです。昔はみんなが同じ仕事、農業をしていましたから、一斉に休みをとって芸能の練習することは簡単でしたけれど、今は観光業に従事している人が多いので休みもバラバラですし、生活様式も違います。そうした中で、島の伝統的なものを守っていくことはやっぱりとても大変なことですけれど、それでも、「いつも神様に守られている」という感謝の気持ちで取り組むのが奉納芸能です。いろいろあるけれど、神様の前では「うつぐみ」の心を忘れずに、一緒に頑張りましょうね〜と声をかけます。

朝、自分が掃除した道をふりかえると、とても気持ちいいですよ。

私の役割は神司(かんつかさ)といいまして、祭事行事で島の五穀豊穣を願い、島の人たちの健康を願うという大きなお役目をいただいております。大変といえばもちろん大変なんですけれど、それよりも感謝の気持ちの方が大きいですね。神司として神様の前に座って、島の人たちの健康を願えるということは本当にありがたいことだと思っています。竹富島では、毎朝、屋敷の前の道や庭をホウキで掃除するのが日課です。これは当たり前のことで、朝起きたら、みなさんも自分の顔を洗うでしょう。それと同じです。自分が掃除した道をふりかえると、とても気持ちがいいですよ。自分が浄化されるというのかな。小さいころから毎日やってきましたし、子どものころは親から「掃除しないなら学校に行くな」とも言われてきました。だから、自分の子どもも同じように育ててきて、でも、子どもたちは楽しんでいましたね。白い砂にホウキの目をつける時に「今日は、くの字にしよう」とか「波模様にしよう」とか。ホウキをしながら草を取ったり、凸凹を平坦にしたり、道も心も整えることができます。

ひとりでできないことは、「うつぐみ」のこころで助けあう

沖縄の原風景と言われている赤瓦や石垣、白い砂の道があるこの風景を守っていくことも、簡単ではありません。昔の屋敷は台風のときに怖いですし、石積みは雨が多いと崩れたりもするんですけれど、そういう時も、みんなで協力し合ってパッと直すんですよ。そうしたところも、やっぱり「うつぐみの心」だなぁと思ったりしています。「うつぐみ」というのは、竹富島の偉人、西糖(にしとう)さんが残した「かしくさや うつぐみどまさる(みんなで協力することこそ、優れて賢いことだ)」ということばです。昔は、家を新築するとか、ひとりではできないようなときにみんなで協力しあっていた。で家づくりの労働作業をする人もいれば、できない人は料理をつくって持っていったり、お年寄りの中には糸紡ぎをして、「それが手伝いだ」という人もいて。みんなが自分のできることで協力すればいい。それが竹富島の「うつぐみの心」なんですね。

昔ながらの手締めのミンサーも、残していきたいですね。

今は、島で織物をやる人が本当に少なくなってしまったんですけれど、以前は集落の道を歩いていると、どこからでも機音(はたおと)が聞こえてくる島だったんですよ。私も小さいころから、おばあちゃんが糸を紡いで母親が機織りをする環境で育っていたので、子育てが一段落したときに「機織りでもしようかな」と、自然と染織を始めました。芭蕉(バショウ)や苧麻(チョマ)など、糸になる植物は自宅の裏庭にありましたし、福木(フクギ)、八重山木藍(ヤエヤマキアイ)など、染料になる植物は今も島にたくさんあります。竹富島発祥の工芸は、ミンサーがよく知られていますよね。昔、通い婚時代に女性から男性へ、婚約が成立した時に贈られた「藍の帯」なんですけれど、昔は手間のかかる地機(じばた)の手締めでつくられていました。高機(たかはた)の筬(おさ)でつくると楽なので、今ではその方法が主になっていますけれど、手締めの帯はキュッと締めやすいし、ほどけにくい。つくるのは大変なんですけれど、やっぱりこの帯も残していきたいですね。

また おーりとぅらなら👋

(竹富島の島ことばで「また来てくださいね」)

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