黒島の豊年祭では他の島にはない伝馬船が登場します。

黒島には、ここにしかない文化や芸能がたくさんあります。たとえば、豊年祭のウーニパーレー(競漕)に登場する船は伝馬船(てんません)といって、ヤラブ(テリハボク)の木でつくられた大和船です。沖縄本島を含めて、他の島ではみんなサバニを使いますよね。なぜ黒島だけ伝馬船なのかというと、八重山の造船発祥の地だからです。総勢22名で船を走らせますから、サバニよりも迫力がありますよ。豊年祭は島の人にとって大きな楽しみで、昔の年寄りたちは「自分は豊年祭を見るために生きながらえている」とよく言っていました。今は島民の数が少なくなってしまって、石垣島の郷友会が協力してくれないと漕ぎ手も足りないし、少しさみしいですね。

黒島ならではの芸能は島の宝です。

今年は、ウーニと呼ばれる漕ぎ手に、マース(塩)と御神酒を与える杯取(さしきとらし)の役目をおおせつかりました。「今日はニライカナイの神を私たちに授けてください」とお願いして船を漕ぎ出して、沖合に浮かんでいるフキ(木片)を福に見立てて招き寄せます。ミーラク(弥勒)行列や笠ブドゥン(踊り)など、各部落ごとの奉納芸能も見事ですよ。最後には、みんなで船を陸に担ぎ上げるユーアゲ(世揚げ)があります。海の向こうにあるニライカナイから良いことも悪いことも取り込んで、すべて自分たちの生活の糧にしようという精神が垣間見れます。黒島の祭事には、他の地域では消えてしまった原点がまだ残っているかもしれません。

黒島の島ことばはもう途絶えてしまいそうです。

黒島のことを、島では「さふしま」と言います。サンゴが「さふさふ(サクサク)」するくらいたくさんある島、という意味ですね。そして、黒島の島ことばは「うゎーりたぽーりよー(ようこそいらっしゃい)」とか、響きがやわらかい。これは、万葉語が残っているからなんです。「ぱぴぷぺぽ」も多いので、冗談半分ですけれど、フランス語みたいな発音だねと言われることもありますよ。島のことばというのは非常に大切で、「島のことばを忘れたら、島を忘れて親も忘れる」という格言もあります。島のうたや祭事行事では、まだ島ことばが残っていますけれど、日常でしゃべる人はほとんどいませんから、もう途絶えてしまいそうです。島ことばでないと伝えられないこともありますから、私は行事になぞらえて、普段からなるべく使うようにしています。

あくせくする必要がないから、牛も人ものんびりしていますよ。

黒島は珊瑚礁が隆起してできた島なので、土地が低くて稲作もできないし、農業には不向きです。川がなくて水もないから、昔はコンクリートの大きな水タンクがどの家にもありました。今は西表島から海底ケーブルで水を引いていて、ご存知の通り畜産業が成長しています。これからも人がたくさん増えることはないでしょうから、人間も牛みたいにのんびり暮らしていますよ。島では、どこへ行くにも30分あれば着きますから、あくせくする必要もないですしね。ただ、足の踏み場もないくらいあったイノーのサンゴは、ほとんど消えてしまいました。自然が変わってしまうのは、地球規模の話だからどうすることもできないですね。これからの黒島は、祭りを継続していくためにも、やっぱり若い人がたくさん住んでくれることを期待しています。特に黒島二世、三世の人には、日帰りでもいいから黒島に来て、島を見てほしいと思っています。

またうゎーりたぼーりゆ👋

(またね~ !と、黒島方言)

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