私たちの島時間レポ  鳩間島

鳩間島の伝統行事を絶やさないために
次の世代へバトンを繋ぎにやって来た

鳩間島の大工尚美さんにお話を伺いました。

父親が鳩間島出身という大工尚美さんは那覇出身。30年以上暮らした東京から5年前に鳩間島へ移住し、祖父の代から営む民宿を引き継いでいます。

父の死をきっかけに自分のルーツである鳩間島へ

鳩間島で暮らすようになったきっかけを教えてください

私自身は生まれも育ちも那覇なんだけど、父が鳩間島の出身です。その父が亡くなったのが、島暮らしを決めた最大の理由。私が継いだ「民宿まるだい」は、祖父が50年ほど前に始めた宿。祖父が亡くなった後は祖母が切り盛りしていたけど、そんな祖母も亡くなって父が宿を継いでいたんです。

8年前に父が亡くなった時に民宿を閉めることも考えた。でも、20年30年と通ってくれてる常連さんもいて、もはや親戚みたいな感覚だから。里帰りのように来てくれる人の場所をなくしてしまうのも申し訳ないと思ったし、先祖代々の墓や仏壇もある。それでなんとなく5年前に鳩間島に生活拠点を移すようになりました。子供の頃からずっと遊びに来ていたから、島への思い入れもありましたし、島の伝統行事を継いでいかなくてはいけないという思いもありましたね。

50年以上の歴史を持つ古民家の宿「民宿まるだい」

伝統行事を繋いでいくことは私の大切な役割

都会を離れ島で暮らすことを選んで良かったと思いますか?

高校卒業後に那覇から東京へ行ってそこで30年くらい暮らしていたんだけど、鳩間島で暮らすようになる前も年に4~5回くらいは行事のために島に通っていたんです。鳩間島は人が少ないのに行事が多いので手伝いにね。自分のルーツでもある島に、なにかしら貢献したいという気持ちもありました。

だけど、遊びに来るのは楽しいけど、実際に住んだら大変だった。島には住民が50人くらいしかいなくてほとんどが高齢者。こっちに来てから公民館をはじめ色々と役職に就いたりもしてるんだけど、私達の世代のいわゆる中間層っていう人がいないからやるべきことが多い。

私はルーツが鳩間島にあるし親戚もいるから来た当初は歓迎されたけど、移住者の人よりもあたりは強いよね。島のことを知っていてあたりまえ、行事ごともできてあたりまえって思われてるから。だけど、ずっと見てきたから行事がどれだけ島にとって大事かも理解している。島の大先輩たちから受け継いできたことを私たちがしっかりやることで、お年寄りが「自分たちの時代に行事を途絶えさせなかった」と安心できる。そうやって、教えられてきたことを子供の世代にバトンタッチしていくのが、私のすべきことだと思うから。それに関しては、鳩間島に来たのは良いことだったんじゃないかと思っています。

民謡「鳩間節」でも歌われた鳩間中森の物見台からの眺め
民宿まるだいは集落の中にある

創業50年以上。常連さんはもはや親戚のような存在

大工さんで3代目となるまるだいはどんな民宿ですか?

「民宿まるだい」は、50年くらい前に祖父が始めました。竹富町内でも歴史のある老舗の宿で、船が週に1回とか2回しか来ないような時代に、旅人や仕事で来る役場の人を泊めていたそうです。

私も、小さな頃から夏休みになったら島へ遊びに行ってたけど、当時は電気も水道も、港もなかった。そんな時代からずっと通ってくれているような常連さんもたくさんいて、みなさん本当に鳩間島を愛してくれているんですよね。宿を超えて、島全部のリピーターみたいな人たちがたくさんいる。そんな人たちが好きなこのままの鳩間島を、いつまでも残していけるといいなと思います。

あとは私みたいに鳩間島にルーツのある人が、行事の時に帰ってきやすくなるといいなと思う。親戚はもう島にはいないけど、島に行ったらあの宿に泊まれるから気軽に行きやすいという感じの存在になれればいいですね。

時間が空いたら庭先で宿泊客とお酒を飲みながらゆんたく(おしゃべり)

島になにかしら貢献できるようなことをしていきたいね

これから鳩間島でやっていきたいことってありますか?

鳩間島の行事が途絶えないように伝えていきたい。そのための取り組みのひとつとして今、昔の人が話している音源をおこすという作業をしています。鳩間島の方言は独特ですごく難しくてお年寄りにしかわからないから、みなさんが元気なうちにやっておかないと。もともと文化が口承伝達だったこともあって、残っている文献もちょっとずつ違っているところがあるので、みんなで統一させて伝えていこうとしています。

それから、何か島の産業になるようなことも始めないといけないなとも思っています。この間、鳩間沖のきれいな海水をとって塩を作ってみたのもその一環。島の行事の時は自分たちの手作りの塩を使いたいと、西表島で塩作りをやっている友人に話して協力してもらいました。できあがった塩は豊年祭のご祝儀をくれた人にお礼に配って、残りをネットで販売したら結構すぐに売れた。今回の売り上げは学校の子供達に寄付したんだけど、いつかこれを、島のお土産として販売できるようになったらいいねと話しています。鳩間島に、なにかの形で貢献できるようなことをしていきたいですね。

鳩間島の塩。パッケージは大工さんのデザイン

大工さんのレポまとめ

大工さんが暮らす島の風景